あっちだ!っていう光が見えてきた。
001 松嶋有香 さん
文章力養成コーチ・文章コンサルタント
プロフィール
プロローグのようなもの
第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話
第7話「そこに、ダンナ登場ですよ」
バンドが解散。さらに音楽放浪が続くのか…と思いきや、
ダンナさんになる男性が現れた!?
松嶋さんの人生は、変転流転…。今度は、なんと海外へ!
松嶋:ダンナになる人は、バイト先の学習塾で上司だった人ですね。
「もう音楽じゃだめだ、正社員になろう」と思っていたら、ダンナになる人とかバイト先の先生たちが、入社の推薦をしてくれたんですよ。即戦力になるから入社試験なしで契約してやってくれないかってみんなで掛け合ってくれたの。そのおかげで、無事入社。
だけど、バイトの時と同じ環境に就職させてくれるって話だったのに、入った途端いきなりポジションが変わって、受付をやってくれって言われたんですよ。教務じゃなくて。先生たちも私が教務をやってくれると思って推薦文を書いてくれたのに受付業務で、しかも働く校舎も変わるかも知れないって言われたの。
正社員にはなれたけど、これは話しが違うぞということで、すぐ「やっぱりバイトに戻ります」って言ってバイトに戻ったの。
さんぽ屋:あ、戻っちゃうんだ。
松嶋:先生たちに申し訳ないと思ったからね。
さんぽ屋:そうかー。話、違うもんね。
松嶋:「私は先生たちと仕事がしたいので、待遇はどうでもいいから戻してください」って。そうしたら、保険だけは付けてあげるということでバイトからパートには昇格したんですよ(笑)
で、当時上司だったダンナが、私はもう自由になったほうがいいと思ったんでしょうか。「アメリカに来ないか」って言ってくれて。
さんぽ屋:その時は、もうつき合ってたの?
松嶋:つき合ってはいないです。私を海外校にスカウトしてくれたんですね。
さんぽ屋:ただ、仕事しに来ないかっていうこと?
松嶋:便利だと思ったんでしょうかね、先生もできるし…。
アメリカに連れて行ったら、ちょうどいいと思ったんじゃないですかね。事務ができる。教務ができる。で、先生もやれる。そういうマルチな人は海外校には必要なんですよ。日本の塾みたいに何十人も先生はいなくて、4人ぐらいで一校舎をまわしているので。
うちのダンナも校長をやりながら、経営をして、授業もする。そういう人じゃないと少人数ではやれない。そこに私も入らないかということだったのかも。
で、即「行きます!」って言って。
さんぽ屋:それで、「行きます!」って言ったの? じゃあ音楽は?
松嶋:ちょうどポップスを一緒にやってた人ともうまくいかなくなってたから、「これはもうやめ時かもしれない」と思って。アメリカは楽しそうだし行ってみるか、って。
さんぽ屋:まー、そういう考え方はあるけどさー(笑)
松嶋:それに、正社員になれるんですよ。アメリカのビザも取ってくれる。で、正社員になって、ビザ取って、アメリカに行きました。
さんぽ屋:はーー。で、行った先は?
松嶋:シカゴです。現地で初めて、「何の教科、教えられる?」って聞かれたの。塾で教える中学受験の算数はすごく特別だから難しいの。「算数以外の、小学校の教科は何でも大丈夫です」って言ったら、「じゃあ国語を」って言われて。
さんぽ屋:そこから国語を教えるようになるの?
松嶋:そうです。で、国語を受け持った時に、現地の子どもたちがあまりに日本語を話せないことにびっくりして。書いてある漢字も字面は正しいんですけど、すごい書き順で書いていて。
さんぽ屋:それ、何年生?
松嶋:4年生。それと、日本の伝統行事をあまりにも知らない。
さんぽ屋:その子たちは、アメリカが長い子たちなの?
松嶋:長くはないですね。ほとんど駐在員のお子さんだったので3、4年で帰るんだけど、子どもにとって大切な時期に日本の伝統行事を体験していないんで、その知識がごっそり抜けてるの。もったいないというか、何とかしなくちゃと思って。
これはヤバイと思って、赴任したのが5月だったから、端午の節句のポスターを描いたんですよ。端午の節句のいわれとか、なんで5月5日なのかとか、いろんなことを書いて。
その経験が今思うと、歳時記とか日本文化、日本語、和の心とか、そういうことを強く意識するようになったスタート地点でした。その5月5日のこどもの日のポスターを描いたことが、私のいまの活動の原点。
だけど、そのポスターの写真、撮ってないんですよ。過去を大事にしないから(笑)
さんぽ屋:(笑) アメリカに行ったのって何年頃?
松嶋:1995年。
さんぽ屋:じゃあその95年の端午の節句が、今の仕事へのターニングポイントになってるわけだ。単なる国語教師から、もっと日本の文化まで教えようって広がった瞬間なんだ。
松嶋:広がったって言うか、それを大事にしないと国語って教えてはいけないんじゃないか、って思ったぐらいの出来事だったんですよ。
それまでの国語教師が教えることのイメージって、漢字、知識、読解、この3つ。3本柱って塾でも言うんだけど。漢字をとにかく毎日やって、親も四字熟語とかを家で言わないんで、ほんとは詰め込みたくはないんですけど、知識はプリントで勉強させて。そして読解は、本を読んで作者の気持ちを答えるっていう、大学入試そのままを小学生バージョンに移したみたいなもの。
教えるのは、それの繰り返しだったんだけど、そんなことじゃないんじゃないか、って気がついたの。日本の伝統行事とかって、もっと家庭で伝えるべきものなんじゃないか。塾じゃなく、机の上じゃなくて、生活の中で出てくるべきじゃないかなって気がついたんです。
さんぽ屋:なるほど。
松嶋:で、そんなことをしているうちに、結婚しました(笑)
さんぽ屋:あ、そっか。ダンナさんになるんだもんね。おめでとうございます(笑)
松嶋:そして、それから1年ぐらいで妊娠して、日本の伝統とかを教えることはそれほどやれないまま…。
出産の前日まで仕事してたんですよ。妊娠がわかってからはクラスは持たないことにして教務仕事に戻って、塾をサポートしてました。出産予定日の1週間前には仕事を辞めて、「さあ終わった。出てきていいよ」って言ったら、もう次の日に産気づいて。
さんぽ屋:へー、そうだったんだ。
松嶋:出産予定日まで1週間余裕を持って仕事を辞めたのに、辞めた次の日に出産したんですよね(笑)
さんぽ屋:子どもには聞こえてんだね。
松嶋:で、その後は6年間ずっと専業主婦。
さんぽ屋:わ、そーなんだ!
(つづく)
仕事を辞めたら、こんどは専業主婦と子育てに専念。
しかも6年間、あの松嶋さんが…。その日々は、どんなだったのでしょう?
→第8話